これから「大阪」に注目していきたい。

「決められる人」は結局強いのだろうと思う。

状況が煮えると、負けられない人、今まで何かを積んできた人は、決断によってそれを失うことを恐れるようになる。まじめで優秀で、勉強して、いい大学といい経歴を積んで、決断が必要な場に対峙して、もうそこで動けなくなる。そこにいる誰もが、改革の意志、誰かの行動に賛同する意志だけ示して、自ら決断することはなく、誰かが動いてくれないかな、とひたすら願うようになる。
誰も決断したくない、誰かが決断してくれるのを待ってるような状況で、「俺はこう思うぞ!責任を取るぞ!お前は反対するのなら、そのときは責任が取れるのか!」なんて大声で騒ぐ人の意見は、どれだけそれが無茶であっても、結局それが通ることになる。反対側の人たちは、誰も決断できないのだから。

誰もが揚げ足を取るタイミングをはかるような、全方向見渡しても敵しかいない今みたいな状況は、真ん中を堂々と歩く人を誰も止められない。そんな空気で歩き通してしまったのが橋下知事なのだろうし、そうした歩みはまだまだ止まらないし、止められない。